今、私たちがしている仕事は Web をデザインしているというより「この要件を満たすためには A と B と C がいる」という組み合わせを探して組み立てているだけに過ぎないのではないかと感じることがあります。紙デザインへの憧れとノスタルジーを感じながら、どうにかして Web へそのまま移行しようと努力していることもあります。そうした試行錯誤をデザインプロセスと呼ぶことはありますが、これらの仕事をする人が Web デザイナーであるとするのは少し寂しいことだと思います。
こちらのエントリーを読んでつい最近感じた疑問が整理された気がしました。
この間、会社で同僚が他の紙媒体出身のデザイナーの方と共同作業したときに、こちらのユーザービリティやアクセシビリティの考えと、先方のデザインが尽く噛みあわなかったということが起こったそうです。同僚の感覚からすると、一般的なディスプレイで上から画面の80%近くをコンテンツ本文ではなく、ロゴが占めていることや、検索機能や最終目的であるはずの資料請求フォームへの動線が分かり辛いこと、テキストを斜めに配置する必要があるデザインはまったく理解できなかったそうです。
先方はそれに対して「Webを紙のレベルにまで引き上げたいのです。」という主張をされたそうです。
この話しについて僕はそのモチベーションやストレスが理解出来なく、何故そう思うのか、また同僚と先方の意識のズレはどういう構造になっているのかとても気になっていました。
結論を言うと、Webデザインが示す領域が広すぎることから来る齟齬だと思いました。
AJAXが登場したときにも「デザイナーはどの程度エンジニアリングに踏み込むべきか」や「アーティストとデザイナーの定義の違い」などが話題になりましたが、Webデザインが対象とする領域はあまりに広過ぎます。
要は、Webデザインは「絵画」、「椅子」、「映画」、「音楽」、「ゲーム」、「広告」、「ネットワークを利用した未知のコミュニケーションツール」などの全てを含み、何を作るのかによって目的や方法論が全く違うために、上記のような齟齬が発生するのだと思います。
僕は「化粧品ブランドのデザインを主にする会社」と「ビジネスツールを作る会社」と「広告・集客手段としてのWeb」を作る会社にそれぞれシステム担当としてですが、在籍したことがあります。それぞれの会社でのデザイナーの方の目的や方法論、適性は明らかに全く別のものでした。(たとえば、高級な化粧品ブランドのサイトでは何よりもブランドイメージやプレミアム感などがアクセスビリティやWeb標準への準拠より収益に貢献していたように思います。一方、ビジネスツールでは何よりも分かり易さや機能美が求められるでしょう。)現実には「画家」と「(例えば椅子の)インダストリアルデザイナー」は全く違う仕事のやり方をしているのではないでしょうか?それがWebでは「Webデザイナー」という一言でまとめられてしまいます。(システムの言葉で言えば、クラスの粒度が荒いのでしょう)
完全に僕の予想ですが、そういった、実際には畑違いであるはずの理屈を押し付けられるストレスが、現状のWebデザインにおける不全感につながるのではないでしょうか。(例えば上記のブログのデザイナーの方はアーティスティックなデザインやインタラクティブなコンテンツなどを得意とされているところにママチャリのような「汎用部品でどれだけ無駄なく最低限の機能を満たすか」というようなデザインを求められても楽しくないかもしれません。個人的にはママチャリやスーパーカブなどを見て「よくこんなプリミティブな作りでまともに走るよなあ、といった機能美的なものを感じることがありますw)
上記のようなWebデザインの中でももっと粒度の細かいカテゴリーを意識し、自分のやり方を押し通すのではなく、対象とするWebサイトの目的に合わせた方法論を選択することが大事なのではないかと思います。